Cafe de Viola ~カフェ ドゥ ヴィオラ~|由紀さおり・安田祥子 オフィシャルホームページ

カフェ ドゥ ヴィオラ

0歳から25歳までの私 (2)

前回の写真 サブリナパンツをはいて「愉快な町の風船屋さん」を歌う私の隣にいるのは妹(由紀さおり)です (気づいていらっしゃいました?)
image私がコロムビアレコード専属歌手になったころは先輩に川田正子さん孝子さん古賀さとこさん、同世代では伴久美子さん近藤圭子さん、そして次々に童謡歌手が生まれていました。ただ出演の場はテレビのない時代ですからラジオやおひな祭り、こどもの日にはデパートの屋上ステージや(今でもあるのかな?)動物園の野外ステージで 動物のショーの後に歌ったりしていました。これはこれで子供だった私には楽しい事でした。 

レコード会社もコロムビア、ビクター、キング、ポリドール。色々な会社の歌手の方々とツアーで地方に行く事もありました。

この頃は今の様に所属事務所というよりレコード会社に所属していましたので殆どの童謡歌手はお母さんがマネージャーがわりに付いて来ていました(私達の母も)。物のない時代ステージ衣装の準備は大変!母は洋裁(懐かしい言葉!笑)和裁もですが得意でしたので、衣装は殆ど手作りでした。ちょっとおしゃれに作ってくれるので他の人とはひと味違い嬉しかったのを今でも覚えています。
imageでもこれが羨望からいじめに・・・。
自分では気がつきませんでしたが母は随分嫌な目にあったようでした。
当時は少女、少女ブック、少女クラブ等たくさんの少女雑誌があり、季節を先取りした撮影のため衣装の準備に苦労したようです。
水着なんて今の様に豊富ではありませんし季節前にはもちろん手に入りません。
母はギンガムチェックの生地を見つけて来てワンピース型の水着のような物を作ってくれました(季節前ですから寒くて風邪をひかれたらこまるので水には入ったりしませんが雰囲気を出すために必要でした)。生地や付属品のレース、リボンなど母はほんとにセンスがよかったので真似をする人がいて・・・。ますます創作意欲を燃やしていたようです。おかげさまで雑誌撮影ではよく声をかけていただき本当に忙しい毎日でした。

歌手の近江俊郎さんが監督なさった映画にも出演。浅丘ルリ子さんの映画デビュー作品「みどりはるかに」の主題歌を歌い出演もしました。

林 真理子さんが女優浅丘ルリ子さんについて書かれた『RURIKO』にその頃の事が描かれています。当時の私も登場しています。
image中学受験は当時NHKが千代田区内幸町(今の日比谷公会堂のそば)にあり都電で通えるようにと(知ってる方はもう少ないですよね)JR田町駅の近くの東京女子学園中等部を受験しました。

スカートに白い線が入っていて上はジャケットの制服です(ほんとはセーラー服が着たかった!)。中庭に張り出された合格発表を観に行ったら上級生が窓からズラーっと顔を出して「安田さ~んおめでとう!」と行って下さったのにはびっくり!でもとても嬉しかったのをよく覚えています。
撮影 早田美利/「少女」(光文社)

高等部卒業までこの学校にお世話になりました、私はカールのつよいくせっ毛なので 「パーマをかけたでしょう!」とよく校長室に呼ばれてしまったり、演奏旅行やキャンペーン、雑誌の撮影などで欠席し久しぶりに学校へ行くと中間テスト中であったり・・・。

特に数学がもうぜんぜんついていけずに大変でした。出席日数が足らず「作法の授業」は厳しい先生で赤点がついてしまいました(笑)高校1年生後半の頃からひばり児童合唱団の皆川先生から音大に進みクラシック音楽を目指したらというアドバイスをいただき、かつて「ヘンゼルとグレーテル」で魔法使いを歌っていらした皆川先生の親しい友人でもあった三枝喜美子先生のレッスンを受けるようになります。

そしてひばり児童合唱団では最上級生クラスになり、だんだん大学受験生としての生活が中心になっていきます。 続きは「その3」で。

2010年 12月
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